唯物語論(2)

 いわゆる文系学問の中で、高等数学を駆使する経済学だけが唯一科学として成立しているといわれているが、これが怪しいのだ。経済学は第二次大戦後のアメリカで巨大な発達をとげた学問だ。戦前あたりから心理学、経済学、社会学がシステム論(多変数の相互連関モデル)の考え方で統合され、いわゆる行動科学革命というのが起きた。そしてシステムの分析が出来れば、それを応用して現実社会を変えられるとされた。しかしその試みは今のところ大失敗と見ていいだろう。百年に一度の経済危機を防ぐことが出来なかったのだから。それどころかアメリカにはあれだけノーベル経済学賞受賞者がいながら、自国の景気循環すら解明できていない。
 日本の状況はさらに厄介で、経済学者と経済評論家の区別がつかない。とりあえず両者をエコノミストと呼ぶ事にする。テレビをつければ毎日のようにエコノミストが景気回復策を論じている。これまた十人いれば十通りの処方箋を出してきて、どれを信じていいやら分からない。財政出動がいいのか金融緩和がいいのか、あるいは構造改革財政再建を目指すか。アメリカは一貫して日本に内需拡大規制緩和を要求しているが、これは単に「輸出を減らしてアメリカ製品を買え」といっているに過ぎない。それをなぜか景気回復の条件のように語るエコノミストもいる。実はこれらの処方箋は90年代にすでにやられていて、全部失敗してるんだけど。
 何でこうなるかというと、さっきの「多変数の相互連関モデル」だ。これは超簡単に言うと、研究対象からいくつかの要素(変数)を抜き出して方程式をつくるということだ。そうやって現実を単純化したモデルを作る。ちょっと考えればわかるが、これは要素の選び方でいかようにも方程式が立てられる。数学の証明みたいなものだから、理論上は全部正しいことになってしまう。だから学説の並列状態がいつまでも続くのだ。しかも複雑怪奇な現実の前ではどれも有効に機能していない。これが文系学問で唯一科学として成立しているといわれる分野の現状だ。つまり経済学だって物語なんだよ。
 まあ言われなくても、みんな科学と聞いて思い浮かぶのは歴史や経済じゃなくて理系学問のほうだと思う。では文系は物語、理系は科学と断定して本当にいいのか。この記事のタイトルを見てくれ。この世は全部物語だという意味だ。物語至上主義者である俺は理系学問だって物語だと主張したい。無茶苦茶なことを言っているようだが、そうではない。ここで読者に物語用語でいうところの「どんでん返し」を食らわせよう。
 「コマ大数学科」でおなじみの竹内薫が書いた「99.9%は仮説」という本がある。ベストセラーになったので知ってる人も多いと思う。この本の言いたいことはたった一つ。「科学はみんな仮説である」ということだ。検証できないのが文系学問の急所だと書いたが、この本によるとあらゆる仮説は永遠に検証できないという。理系も文系もこの点では一緒なのだ。その論理はぜひ読んで確かめてほしい。活字が大きいし文章もやさしいのであっという間に読めてしまう。
 つまり科学はみんな物語であるということだ。ならば文系学問を科学に入れても全く差しつかえないだろう。つくる会の「歴史は科学ではなく物語である」発言は、だからより正確に直せば「歴史は科学である。そして科学は物語である」となる。さんざん理系と文系は違うと書いておいて何だそれはと言われそうだが、もう一度よく見てほしい。「検証できないのが文系学問の急所」とは書いたが、だからといって理系学問の急所じゃないとは書いてない。理系と文系の違いめいたことを書いた後には、いちいち「〜といわれている」をつけている。こういう書き方を俺は横溝正史の「本陣殺人事件」で学んだ。これをミステリー用語で「叙述トリック」という。
 最後はこの言葉で締めくくろう。
「科学とは常に訂正される仮説である」   石井輝男監督「直撃地獄拳大逆転」より

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

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