アドリブ話法

 最近ギャオで「ツイン・ピークス」の放送が始まったので、一日一話のペースでじわじわと見ている。これは90年代の初めごろに一世を風靡したアメリカのTVドラマだ。製作総指揮はデビッド・リンチ。懐かしいなあ。
 とはいっても当時の俺はそんなに真剣に見てたわけではない。第一シーズンぐらいを飛び飛びで見ただけだ。大体このドラマは一回見逃すと訳がわからなくなるので、ビデオでまとめてみようと思ってついそのままになってしまった。ただ、社会現象にまでなっていた当時の雰囲気は肌で知っている。当時は「ツイン・ピークス」を見ているのが気の利いた若者の証明だった。
 で、今回改めてちゃんと見て思ったのは、一回も見逃さなくても訳がわからなくなるなあ、ということである。もちろんそうだろうな、ということは見る前からわかっていた。ブームの時は見てなくても普通に生活してるだけでどんどん情報が入ってきたし、大学に入ってからはリンチ好きの先輩が聞きもしないのにいろいろ教えてくれたから。
 そもそもこれは殺人事件をめぐるミステリー・ドラマなのだが、だんだん殺人事件なんかどうでもよくなってくる。謎が謎を呼びどんどん膨れ上がる一方なのに、いっこうに解決しない。新しい謎が増えるスピードに対して、解決される謎の数があまりにも少ないのだ。それでも第一シーズンぐらいまでは比較的真面目にミステリーしていたが、第二シーズンになると脱線につぐ脱線で、登場人物の変人コンクールみたいになってくる。しかも、謎を合理的に解決するのがミステリーのはずなのに、平気で心霊現象みたいなことが起きる。
 実はこれはデビッド・リンチが最初から意図したことなのだ。殺人事件うんぬんは視聴者を釣るためのエサで、本当にやりたかったのはソープ・オペラのパロディだ。ソープ・オペラというのはアメリカの昼ドラみたいなもんだが、日本と違って人気が出ると何十年も続いてしまう(50年以上続いている番組もある)。これは日本のまんがにもいえることだが、長期化してしまうとちゃんとした話を考える余裕もなくなってきて、ひたすら意外な展開で興味をつなぐだけになってしまう。とりあえず書いてから続きを考えるというやり方だ。これを俺はアドリブ話法と名付けた。
 アドリブ話法はいわば長期化の宿命といえるかもしれない。あらかじめ考えていたネタを使い果たせば、どうしたって場当たり的にならざるを得ないからだ。しかしこのやり方を意図的に採用したのが「ツイン・ピークス」である。リンチは最初から、さまざまなエピソードが展開するうちに殺人事件が単なる背景になってゆくという構想で作っている。
 この場当たり的に意外な展開を繰り出すやり方、謎が増える一方なのにあまり解決しない状態、それを意図的にやる姿勢、最初は比較的真面目にやってたのにだんだんおかしくなっていくありさま、結果的に社会現象になってしまった点を含めて、これは「エヴァンゲリオン」に似ている、と思った。「エヴァンゲリオン」もまたアドリブ話法の作品である。
 さて、まだ俺は「ツイン・ピークス」を最後まで見てないので、全部見終わってからの感想を改めて書こうと思う。そしてアドリブ話法の金字塔「妖星伝」の話もしたい。

ツイン・ピークス  ゴールド・ボックス(10枚組)(初回限定生産) [DVD]

ツイン・ピークス ゴールド・ボックス(10枚組)(初回限定生産) [DVD]