あんたの時代はよかった

 久しぶりに「太陽を盗んだ男」を見直した。理科の先生は何でもできるんだなあ。
 物心ついたときは沢田研二の時代だった。俺が最初に認識したスター(スーパー・スターと形容されていた)といえる。俳優としての代表作はドラマ「悪魔のようなあいつ」、映画「太陽を盗んだ男」、「魔界転生」といった所だろう。この三作のあたりは、日本が経済大国にのぼりつめた時代だった。そしてジュリーが世界で一番偉かった時代でもある。
 「太陽を盗んだ男」では菅原文太、「魔界転生」では千葉真一と、この頃のジュリーは東映のヤクザと戦ってた。二本とも最後にジュリーが勝ったのか負けたのかよくわからないのが印象的だった。東映ヤクザのギラギラした野性味とジュリーの中性的な退廃美のせめぎ合い。この頃までは両者の力が拮抗していた。両者とも一般人にはない過剰さを持ち合わせていた。そんな過剰なスターたちが繰り広げる物語には、大風呂敷を広げたホラ話を聞く楽しさがあった。
 しかしそれから急速に、汗臭い男がモテない時代になってしまうのだ。松田優作がこざっぱりしてきたのもこの頃だし。思えば70年代は過剰な時代だった。テレビで女性の裸と血しぶきがバンバン出ていた。これに馴染んでしまうと、今のテレビが薄味に感じてしょうがない。
 男性スターには男くささを売りにするタイプと、貴族的なエレガンスを売りにするタイプがあって、ジュリーは後者の代表格だった。そういえば彼は「源氏物語」もやってたな。ただしジュリーのエレガンスは「過剰な男くささ」と互角に戦えるだけの「過剰なエレガンス」だった。
 80年代に入って日本が経済大国になってしまうと、テレビから汗臭い男がいなくなる。これはある意味ジュリーの勝利といえる。しかし「勝利の瞬間から敗北が始まる」という格言がある。皮肉なことに、社会全体がこざっぱりしてくると、ジュリー自身の輝きも徐々に陰りが見えてきた。ポップでオシャレがトレンディな時代が始まり、スターたちに過剰さがなくなってきた。映画やドラマがこじんまりとしてきて、大風呂敷を広げるという事がなくなってきた。こうなるとジュリーの過剰さが逆に仇となり、周りから変に浮いてしまう状態になる。俺にとっては面白くない状態だ。
 みんな分かっちゃいないな。ジュリーが輝くのは彼に負けない過剰な敵と戦っている時なんだよ。あの頃は面白かったなあ。三億円を奪って、原爆を作って、死者をよみがえらせて。なあジュリー、もう一度あんな冒険を見せてくれよ。あんたには大風呂敷がよく似合う。
 「太陽を盗んだ男」以降の映画は大体見ているが、悔しいことに「悪魔のようなあいつ」をまだ見てない。近所のレンタル・ビデオにも置いてないし、ギャオとかで配信してくれないかな。


 「太陽を盗んだ男」の予告はちょっと泥臭いけど、「魔界転生」の予告は結構ハイ・センスだ。
 下はおまけ。
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