ニューシネマ西部劇の映像美

 西部劇というジャンルは60年代に入るあたりから衰退して、アメリカ本国では製作本数が激減していった。その空白を埋めるかのようにマカロニ・ウエスタンがブームになるけど、それもすぐに飽きられてしまう。いよいよ西部劇はもう駄目かという時に登場したのが「明日に向って撃て」と「ワイルドバンチ」だ。この二本がヒットしたお陰でちょっとした西部劇ブームが起る。ニューシネマ旋風の真っ只中でもあったので、この時期の西部劇はほとんどがアウトローを主人公にした反体制的な内容である。そして映像面ではほとんどが「明日に〜」をお手本にしている。
http://mangotreevalley.blogspot.com/2008/06/butch-cassidy-and-sundance-kid.html
 ポスト「明日に向って撃て」の観点から見ると1971年に公開された二本の西部劇が重要である。ロバート・アルトマン監督の「ギャンブラー」とピーター・フォンダ監督・主演の「さすらいのカウボーイ」だ。二本とも撮影監督はヴィルモス・ジグモンドが担当している。このジグモンドという人が凄いんだ。どれだけ凄いかというと、70年代アメリカ映画のルック(映像スタイル)を決定したのが彼なんだって。
http://blog.goo.ne.jp/geeen70/e/5712a7e0f01fe0d15ef30cd3a0a47e34
 ジグモンドはフラッシングという特殊技術を開発したことで名高い。フラッシングとは現像前のフィルムに弱い光を感光させて影の部分のディティールを出す技術だ。よく暗い場面から明るい場面にオーバーラップするときに、影で潰れてた所が一瞬見えたりするでしょ。原理的にはあれと一緒だ。最初にその技術を使ったのが「ギャンブラー」である。

 「明日に〜」の映像感覚をベースに、そこにフラッシング特有の淡く古びた感じの効果をプラスしている。セットはよりリアルに薄汚くという感じで作りこんでるけど、それでも美しさを感じさせる。秘密はジグモンド独特の照明設計にある。基本的に薄暗いんだけど、画面のどこか一点が過剰に輝いているのだ。それはローソクだったりランプだったり、あるいは窓から差し込む日の光だったりする。屋外も例外じゃなくて、必ずどこか露出オーバー気味になっている個所がある。この手口に気が付いたとき、俺は「2001年宇宙の旅」のこれを連想した。

 月面で発見されたモノリスを調査するシーン。ライトをモロに画面に写しこんでいる。その部分だけは光り輝いてるんだけど、それ以外は真っ暗である。この不思議な画面がいかにも真空という感じを演出している。ジグモンドの照明設計はこれに似た効果をもたらしている。どんなに汚い場所を撮っても、まるで真空のように澄んだ印象を我々に与えるのだ。この手法はそれ以来ジグモンドのトレード・マークになる。「さすらいのカウボーイ」の場合はこんな感じ。

 ジグモンドはこういう構図を見つけるのが実に上手い。明らかに現場の光線状態から逆算してカメラ位置を決めている。日本人はこういう発想が苦手である。どうしても構図とカット割りばっかり考えてしまって、光線にまで頭が回らない。「さすらいのカウボーイ」の動画はこちら。
http://www.imdb.com/video/screenplay/vi210632985/
 ジグモンドの二連発を皮切りに、「明日に〜」をお手本にしたような映像派ウエスタンが次々と作られる。「ギャンブラー」「さすらいの〜」の翌年には、「俺たちに明日はない」の脚本で注目されたロバート・ベントンの監督デビュー作「夕陽の群盗」が登場する。撮影監督は「ゴッドファーザー」でお馴染みのゴードン・ウイリス。ちなみに「夕陽の群盗」は「ゴッドファーザー」と同年の公開だ。

 頭を撃たれるとちゃんと脳ミソが飛び散るのがニューシネマだ。銃撃のシーンなのでカット数が多いけど、どのカットも逆光になるような位置にカメラをセットしてある。最後の馬がつないである場所は逆光になってないんだけど、影を差し込ませてなんとか逆光的な画面にしている。雰囲気に一貫性を持たせるためである。同じく「夕陽の群盗」から幻想的な霧のシーン。

 同じ年には屋外シーンのほとんどを逆光で通した「男の出発」も公開されている。監督はスチール・カメラマン出身のディック・リチャーズ。おお、これはスゲエな。マルボロのCMかよ。

 同じ年には後に「ライトスタッフ」や「存在の耐えられない軽さ」を作るフィリップ・カウフマンの監督デビュー作「ミネソタ大強盗団」も登場する。撮影監督はプリンス・オブ・ダークネスの異名を持つブルース・サーティース。あだ名の通り、影の黒さを際立たせた撮影を得意とする。これとかカラヴァッジョみたい。

 このあたりを頂点にしてニューシネマ西部劇のブームは徐々に下火になっていく。その後の西部劇はクリント・イーストウッドが独りで支えていく事になるんだけど、そのイーストウッドを映像面で支えたのが「ミネソタ大強盗団」のサーティースなのだ。さしずめイーストウッド組の舎弟頭といった所か。彼の献身ぶりには涙ぐましい物がある。サーティースはイーストウッドの求める黒を表現し続けるために、当時生産中止が決まったあるフィルムを買い占めて事務所の倉庫に隠すという事までやってのけるのだ。だからそれ以降、サーティースの魅力的な黒を拝めるのはイーストウッド作品だけになってしまった。それが彼の任侠道ということか。
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