韓国映画ブームとは何だったのか(3)

 長々と書いてきた韓国映画論も、ようやくまとめに入ります。
 90年代、みんな新しい物語を作ることをあきらめていた。すべての物語は語り尽くされている。われわれは過去の物語を編集しているに過ぎない。そんな言葉をよく耳にした。これはどうやら世界的な潮流だったらしい。日本でも青白いインテリたちがしたり顔で「編集の時代」について語っていた。そんなスカした日本のお隣では、貪欲に物語を追及する作家たちが次々と登場してきた。彼らは照れずに、堂々と、自分の信じる物語をごり押ししてきた。その蛮勇とも言える行為は感動的ですらあった。
 あの雄々しい韓国映画はどこへ行ったのか。もう帰ってはこないのか。さようなら、韓国映画。でも俺は決して君を忘れない。
 思えば映画が停滞した時、必ずどこかの国で天才がどっと出現し、傑作を量産して去ってゆくという水滸伝のような現象が、繰り返し起こってきた。それによって映画は定期的に息を吹き返してきたのだ。ヌーベル・バーグしかり、アメリカン・ニューシネマしかり。そして50年代の日本映画もまさにそうだった。韓国映画で起きた梁山泊現象は、むかし日本でも起きていたのだ。
 50年代に入ると黒沢明の「羅生門」を皮切りに、溝口健二小林正樹、市川昆らの映画が次々と国際映画祭で賞を取り、世界中で日本映画ブームが巻き起こった。日本映画を語るのがインテリの条件だった時代が確かにあったのだ。いったい何が世界をとりこにしたのか。俺は受賞監督の顔ぶれをじっと眺めてある結論に達した。この人たちの映像はカッコイイのだ。乱暴な決めつけなのを承知であえて言うが、日本映画ブームの本質は画面のかっこよさにある。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、それは彼らの事を知りすぎてるからだ。まっさらな状態で見たときにまず感じるのは映像のインパクトのはずだ。
 映像といえば、80〜90年代の中国・香港・台湾映画もそうだった。チャン・イーモウチェン・カイコーウォン・カーウァイホウ・シャオシェンらの映画がわれわれを魅了したのは、まずその映像の鮮烈さではなかったか? 中国・香港・台湾を便宜的に中華圏でひとまとめにすると、90年前後の梁山泊現象は、まさに水滸伝のお膝元で起きた。政治的に複雑な関係の三者であるが、こと映画の世界では仲良く傑作を同時多発させているのも不思議な話である。
 21世紀に入って韓国映画で起きた現象は、かつて日本や中華圏で起きたことと同じものである。違う点があるとすれば、50年代の日本映画、90年前後の中華圏映画が映像のインパクトで世界に切り込んできたのに対して、韓国は物語のインパクトで切り込んできた。世界が物語の編集・解体に熱中し始めて、作品をせせこましくしていた時に、もの語ることの快楽を彼らは堂々と主張した。世界はそこに衝撃を受けた。物語不毛の時代に突如現れた新鮮な物語群に、人々は熱狂した。それが韓国映画ブームの正体だったのだ。
 まあ、我ながらちょっと強引な論法だと思うけど、この韓国映画論自体ひとつの物語と思ってご容赦いただきたい。あと俺の選んだ6本は正月に家族と見るにはあまりふさわしくない作品が多いので要注意。にんにくと唐辛子のたっぷり入った、韓国風味の特に濃厚な作品群だから。
 これを書いてて今更ながら気付いたんだけど、ものを論じるということは物語を作るっていう事なんだなあ。
 それでは皆さんよいお年を。