差別用語のつくり方

 前回のコメント欄でid:picon00と「カリスマ」という言葉についてやり取りしたんだけど、彼女の発言には考えさせられるものがあった。そこで今回はこの「カリスマ」問題を追及してみよう。まず「カリスマ」を辞書で引いてみると・・・・
Charisma(独) 超自然的、超人間的、非日常的な資質・能力。預言者、英雄などに見られる。
 このドイツ語を世界に広めたのは社会学者のマックス・ウェーバーだ。人はなぜ進んで支配に従うのかを考察したウェーバーは、支配形態を三つに分類してそれを説明した。すなわち合法的支配、伝統的支配、カリスマ的支配である。これを支配の三類型という。合法的支配とは政府の事だ。ちゃんと手続きを踏んでいるから人は従う。伝統的支配とは王権の事だ。昔から従ってきたから人は従う。カリスマ的支配とはナポレオンやヒトラーの事だ。魅力的だから人は従う。ウェーバーがこの理論を発表して以来、超自然的資質で人を従わせる支配者を、世界中でカリスマと呼ぶようになった。20世紀の始め頃である。
 時代は下って現在の日本。「カリスマ」は店員や美容師、モデルなどを形容する言葉になってしまった。この時点で言葉の価値がかなり下がっているのだが、最近はさらに価値が下がって、カリスマと言うと逆に馬鹿にしたような感じになっている。なぜなら、ブームが過ぎるとかっこ良かった人間が色あせて見える。するとなんだか「カリスマ」という言葉までかっこ悪いように思えてくるからだ。このメカニズムを俺は言葉のデフレ・スパイラルと名付けた。
 差別用語が生まれる仕組みも言葉のデフレ・スパイラルで説明できると思う。たとえば「女中」という言葉は御殿女中のように、高貴な女性を指す言葉だった。時代が下ると武家や商家も女中を使うようになる。女中奉公には未婚女性の行儀見習の側面があったので、使うのは身元のしっかりした女性に限られていた。つまりお嬢様の仕事だった訳だ。だから武士が若い女性を「お女中」と呼ぶのは「お嬢さん」と同じ意味である。近代に入って中流階級が形成されると、女中を雇うのが裕福の証しみたいになった。そこから徐々に女中が下層階級の女性の仕事になっていく。そしていまや「女中」は差別用語である。
 高級な言葉が次第に庶民にまで適用されるようになり、言葉の価値まで庶民的になってしまう。適用された人が差別を受けると、その言葉もなんだか差別的に思えてくる、というわけだ。歴史学者網野善彦によると「非人」という言葉すら鎌倉後期までは差別的意味合いは無かったという。言葉の意味がこのように変化していくのは日本特有の現象かもしれない。
 そういえば先日、テレビのディレクターをやっている友人からこんな話を聞いた。最近は「ニュー・ハーフ」という言葉は差別用語にあたるとして、「性同一性障害」と言い換えることになっている。取材先のニュー・ハーフにそれをどう思うか聞いたところ、彼(女)は「あたしは障害者じゃない!」と激怒したそうだ。
 これを聞いて、言葉狩りの馬鹿馬鹿しさここに極まれリ、と思った。人を傷付ける恐れがあるから使わないということなのに、言い換えて余計に傷つけているんだから。というかそもそも「オカマ」が駄目だから「ニュー・ハーフ」と言い換えたのではなかったか。これでは言い換えても言い換えても差別用語になってしまう不毛ないたちごっこである。すでに言い換え用語としての「〜障害」は、もう駄目になってるわけだし。
 もちろん差別を意図して作られた言葉もあるだろう。だが差別用語の多くは最初から差別を意図して生み出されたわけではない。差別が言葉をデフレーションさせているだけなのだ。だからどんなに言い換えても、そこに差別がある限り、その言葉は差別用語になってしまう。言葉に差別が宿ってしまうのだ。まさに言霊の国ニッポンである。
 この国で差別用語をつくるのは簡単だ。言葉に差別を宿らせればいい。どんな言葉でも、あなたが差別意識を持って使えばそれは差別用語になってしまうのだ。

注:「マックス・ヴェーバーの犯罪」は「プロ倫」批判の本なので「カリスマ」とは関係ないです。