俺ならこう映画化するね(2)

 今回の文章は「クライマーズ・ハイ」の映画版、ドラマ版、原作のどれかを見て(読んで)いないと面白くないと思います。
 ドラマ版は二週にわたって放送され、合計すると150分になる。これでも映画版の145分と比べて5分しか違わない。にもかかわらず映画版よりも一つ一つの要素をじっくり描写している。それでいて不思議なほど原作に忠実だ。詰め込めるだけ詰め込んだような原作を、ナレーションの多用、人間関係の単純化、細部の省略を駆使して、すっきりとまとめている。いわば、モザイクの一つ一つを小さくしたり間引いたりするけど配列は変えない、という感じだ。セクハラ問題を省略して、プライベート部分を短くしているのも良い。
 唯一の改変にして最大の功績なのは、事故原因取材を引き続き現場雑観コンビに担当させたことだ。これによってドラマ的な強度が増している。故意か偶然か主人公の悠木プラス雑観コンビが擬似家族を形成(女房役の佐山、反抗的な息子神沢)しているように見えてくるのだ。作品のテーマともリンクするし、よりかわいそう感が高まる仕組みになっている。
 残念なのは「読者欄への投稿」のエピソードを捨てきれなかったことだ。原作でも浮き気味(心理描写を執拗に書き込むことで何とか繋ぎとめていた)だったのが、画で見せられるとどうしても従姉妹のキャラが浮世離れに見えてしまう。
 面白かったのは佐山役の大森南朋が若い頃の山本圭と瓜二つだったこと。あと神沢役の新井浩文が原作から抜け出してきたようなはまり役だった。さすが反抗する青年役はお手の物だ。
 役者の話が出てきたのでついでに書いておくが、俺は映画版の堺雅人は主演女優だ説を唱えている。ホモとかオカマとかいう事ではなく、「用心棒」の仲代達矢のような華とか色気とかの話である。男くさい映画にはそういう役者が必要不可欠で、堺は「金融腐蝕列島」の椎名桔平をしのぐ女優振りを見せてくれる。ちなみに「あさま山荘」が「金融腐蝕列島」に一歩及ばなかったのは、役所広司の(仕事上の)女房役に宇崎竜童を持ってきてしまったことにある。
 映画版は原作のモザイクをさらに細かくしてあちこち並び替えている。仕事パートでは大体うまくいっているが、唯一「自殺とも取れる事故死」がおかしなところにはめ込んであった。これを受けるはずの「読者欄への投稿」が省略されているので、宙ぶらりんのエピソードになっている。
 もし俺が脚色するとなると、プライベート部分を出来る限り省略する。衝立岩登山はオープニングとエンディングだけでいい。親友の安西は最初から寝たきりにして、原因追求は無し。その代わり事故当日は子供たちとの登山の日にする。これで息子との不仲の理由が具体的になる。タイトルの意味については、安西の登山仲間(「解けた時が怖いんです」)を真ん中あたりで出せばOK。それで主人公悠木の家族を2〜3回出せば、残りはバッサリ切っちゃっていいだろう。事故原因については今でも再調査を求める声があるらしいので、事故調査委員会への疑問につながる要素を何とか盛り込みたい。そうすれば悠木の決断にも説得力が出てくるだろう。神沢あたりにそんなネタを拾わせる。工学部出身の玉置を他の誰かと入れ換えるアイディアは、映画版もドラマ版もやってるので俺はやらない。あとは原作の仕事パートを可能な限りいれていく。ただし「自殺とも取れる事故死」から「読者欄への投稿」に至る流れは省略。まあ大体こんな感じかな。
 ・・・・ああ、ヤバい。この記事は異常な興奮で恐怖心がマヒしたまま一気に書き上げたものだが、冷静になって読み返すと何だこの偉そうな文章は。そもそも映像化作品を二本も見てからこんなのを書いて、完全に後出しジャンケンだ。それでつまらないと言われたら最悪だよ。怖くなってきた。炎上したらどうしよう。何でブログなんか始めたんだろう。生まれてすみません。

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)