唯物語論

 年末に書いた韓国映画論のシメで、ものを論じるのは物語を作ることだ、という言葉がひょいと浮かんだのでそのまま書いてしまった。これがどこから出てきた言葉なのか自分でもわからなかったのだが、ようやく思い出した。これは新しい歴史教科書をつくる会が主張していたことだった。確か「歴史は科学ではなく物語である」というような言い方だったと思う。
 この発言をきっかけに、つくる会から歴史学者が大量離脱してしまい、専門家なしでの教科書執筆を余儀なくされた。当時の俺は、教科書には学問的な正しさが要求される、と素朴に信じてた。たとえ日本人としての誇りを身に付けさせるためとはいえ、学問的にあやふやな事を教えられたらたまったもんじゃない。だからこの発言も間違ってると思っていたのだが、最近は考えが変わってきた。つくる会の主張には別に賛同はしないけど、この言葉にだけは賛同してもいいように思えてきたのだ。
 これは歴史学だけの問題ではない。すべての文系学問が持つ宿命なのだ。
 最近、二冊の本を続けざまに読んだ。網野善彦「異形の王権」と今谷明「室町の王権」だ。二冊とも南北朝時代を新たな視点で切り取って大評判になった名著だ。面白かったけど気になった事がある。この二冊の雰囲気があまりにも違うのだ。
 「異形の王権」は後醍醐天皇の政治がいかに異常なものだったかを語ったものである。後醍醐は倒幕のために非人を戦力として動員したり、呪術をよくしたという怪僧文観から性的な秘法をたびたび授けられていた。異形異類、天魔鬼神、呪力、魔力、真言密教の秘法といったおどろおどろしい言葉が乱れ飛ぶ様は、さながら伝奇小説を読む思いである。実際、伝奇小説にパクられまくっている。そういえば、大河ドラマ太平記」はこの本が出て5年後に放送されたものだが、NHK的にぼかした形ではあるが、後醍醐が明らかに性的な儀式を行っている場面が出てきた。子供心にドキドキしたのを覚えている。それはこの本の影響だったのだと合点した。
 「室町の王権」は、足利義満天皇の地位を簒奪しようとして、官位の叙任権や国家祈祷などの祭祀権を奪っていく様子が語られる。後醍醐とは対照的に、義満は政治力を駆使して、地味に既成事実をひとつずつ積み重ねてゆく。こちらはさながら小説吉田学校というか、戦後の政界実録物を読む思いだ。今では一般的な、天皇になろうとした将軍・義満のイメージは、この本から生まれたといっても良い。あとがきを読むとどうやら今谷はアンチ網野らしい。ことさら不合理に背を向けるような書き方をしている。
 同じ南北朝時代でここまで感触の違うものを出されると、二人ともちゃんとした歴史学者だけに、ちょっと戸惑う。同じ年表的な事実が解釈によって伝奇小説にも政界実録物にもなるということは、歴史学者のやってることは歴史小説家と同じではないのか。もちろん小説家よりも綿密な考証をしているだろうけど、どこまでいっても一つの解釈であることには変わらない。なぜなら、理系学問と違って証明・検証が出来ないといわれているからだ。たとえば日本史の一級資料でも、そこに書いてあることがすべて正しいと証明するのは不可能である。
 実はこの「証明・検証が出来ない」というのが問題なのだ。文系学問の急所がここにある。証明できないものを人に納得させるには、緻密さで勝負するしかない。だから文系学者は理系学者とは比べ物にならないぐらい、論理的整合性にエネルギーを費やすといわれている。だがその結果どうなるかというと、相矛盾する「緻密な論理」が学者の数だけ並ぶことになる。しかも検証ができないので優劣がはっきりしない。こうなってしまったら、後はどれを信じるかの問題にしかならない。結局、検証できない仮説は物語と一緒というわけだ。
 この問題が一番露骨に現れているのが経済学だ。経済学もまた物語である。念のため言っておくけど今の俺は物語至上主義者だ。つまらない真理より面白い物語を選ぶ人間だ。だから物語呼ばわりは誉め言葉と受け取ってもらいたい。ということで次回は経済学のお話。
異形の王権 (平凡社ライブラリー)