クロサワの呪い

 プロ野球のオーナー企業の変遷をたどっていくと、日本の基幹産業の移り変わりが見えてくる。「古くは映画会社、鉄道会社、食品会社らを経て今はIT産業である」なんてことをライブドア騒動のときに散々マスコミが書いてたなあ。しかしそういう記事では必ず自分たちの名前は外して書いていた。誰がどう見ても、設立当初から一貫してオーナー企業の中心はマスコミなんだが。ちなみに変遷の詳しい様子はこちら。
 http://www.kotono8.com/2004/11/03rakuten-eagles.html
 映画会社が球団を持てた時期というのは、いうまでもなく映画が日本の基幹産業だった時期だ。そしてその時期は日本映画の黄金時代とぴったり重なる。あの頃の日本映画はおそらく世界最先端の、モノクロ映像の到達点とも言うべき画面を作ることが出来た。そのために湯水のように金をかけることも出来た。敗戦からいくらも経ってない東洋の島国から、「七人の侍」や「ゴジラ」のような超大作が登場した時の衝撃は、相当なものだったと思う。そういえばモノクロ映像で日本映画が頂点に立ったとたん、カラー時代になって長期低迷状態に陥ったのも、皮肉というか、いかにも日本らしい。オリンピックで日本が金メダルを取ると、なぜかルールが変わってしまう現象を思いだす。それにしても日本映画のカラー画面は何であんなにかっこ悪いんだ。おっと、これは余談だった。
 いいかげん本題に入ろう。濱野保樹の「偽りの民主主義」という本を読んだ。タイトルだけ見るとえらい硬そうな本だが、中身は戦後映画界のエピソード集という感じの読み物である。老舗の松竹・東宝とGHQとの攻防、新興勢力として暴れまくる大映、そして黒澤明の「トラ!トラ!トラ!」降板騒動まで、日米の映画交流史が語られる。ちょうど映画会社が球団を所有していた時代をカバーしている。一読して、これは戦後の暗黒街を描いたベストセラー「東京アンダーワールド」の映画界バージョンだな、と思った。
 もちろん扱っている時代が同じというのもあるが、そのあっさりした書き方が似ているのだ。両方とも似たような執筆方法だったに違いない。つまり膨大なエピソードをパズルのように組み合わせる構成をとった結果、一つ一つの描写が薄くなってしまったのだ。それにしても戦後は映画界も暗黒街も似たような図式をたどってきたんだなあ。映画界での永田雅一率いる大映のポジションは、暗黒街で老舗の稲川・住吉の牙城に食い込む新興勢力の東声会に似ている。そして本国ではうだつの上がらないアメリカ人が占領下の映画界で王様のような権力を振るうさまが、暗黒街の不良外人たちの姿と重なり合う。映画界や暗黒街でそうだったとすれば、当時のすべての分野でそうだったに違いない。有能な人物は朝鮮戦争をにらんで早々と本国に戻され、代わりに戦後の日本を監督していたのは二線級の人材だったというわけだ。おそらくドイツでも似たような状況だったろう。
 田草川弘の「黒澤明VSハリウッド」を読んだのはちょうど一年くらい前だ。この本は「偽りの民主主義」の続編として読めることに気づいた。ちょうど「グッドフェローズ」の前半と後半のような関係だ。この本では黒澤明の「トラ!トラ!トラ!」降板騒動が日米双方の資料を駆使してじっくりと描かれる。俺は常々なぜ日本人監督が長いことハリウッドに進出できなかったのか疑問に思っていた。それがこの本を読んで疑問氷解した。黒澤明がポシャッてしまったからだ。そのせいでハリウッドのプロデューサーは日本人を敬遠するようになり、日本人監督は黒澤に遠慮するようになった。これを俺はクロサワの呪いと名づけた。
 そういえば「東京アンダーワールド」をスコセッシが映画化するという噂がだいぶ前に流れたけど、この二冊の日米映画交流史こそ映画化してほしい。GHQの検閲との戦い、黄金時代の栄華とそこからの急速な転落、最後の希望であった黒澤明の挫折、そして日本映画は長い低迷時代を迎える。いかにもスコセッシ好みのストーリーじゃないか。
 中田秀夫監督の「ハリウッド監督学入門」は、クロサワの呪いを解いて「ザ・リング2」でハリウッド進出をはたした中田秀夫が、自身の経験を踏まえてハリウッドの映画製作のメカニズムを追ったドキュメンタリーだ。日本人に限らず、ハリウッドに進出した外国人監督はみんな苦労するらしい。それくらいハリウッドの製作システムは特殊なのだ。この映画は日米映画交流史のエピローグとしても見れる作品だ。長らく続いた日本映画の低迷状態を救ったのがジャパニメーションとJホラーである。そしてクロサワの呪いを解いたのは「リング」呪怨」という呪いの映画だったわけだ。お後がよろしいようで。

偽りの民主主義  GHQ・映画・歌舞伎の戦後秘史   『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて 黒澤明VS.ハリウッド   東京アンダーワールド (角川文庫)