クール・ジャパン論争

 何年か前に、世間でやたらとクール・ジャパンなる言葉がはやったことがあった。そんなときに読んだのが「模倣される日本」だ。著者は前回の記事でも紹介した東大教授の濱野保樹。この本はクール・ジャパン論の古典であり、映画やアニメ、ファッションにいたるまで、日本のポップ・カルチャーが海外に与えた影響を網羅的に整理してある。「偽りの民主主義」でもそうだったけど、どうもこの人は物事を掘り下げるよりも網羅する方が好きなようだ。伊丹十三みたいなもんか。で、この本は結論として、アメリカ(特にディズニー)の著作権ビジネスに対抗して日本も早急にコンテンツ保護の態勢を整えるべきであり、そのためには国のバックアップが不可欠だ、と主張している。
 この濱野保樹の意見に噛み付いたのが大塚英志である。「ジャパニメーションはなぜ敗れるか」は大澤信亮という評論家と大塚との共著で、政府によるジャパニメーション保護の流れを批判した本である。この本の結論は次の二点。(1)そもそも日本のまんがを生み出した手塚治虫はディズニーの模倣であり、手塚以降のまんが・アニメは手塚の模倣である。だから欧米のクリエイターがジャパニメーションを模倣するのは正当な収穫行為だ。(2)海外に日本のコンテンツを輸出して収益をあげるためには、流通ルートを確保しなくてはならない。アメリカべったりの日本の役人がハリウッド・メジャーの押さえてるルートをもぎ取れる訳ないだろ。
 この大塚英志の意見(1)に噛み付いたのが証券アナリスト増田悦佐である。増田の「日本型ヒーローが世界を救う!」は、知的エリートではなく一般大衆が文化を担っている日本(先進国の中では唯一だそうだ)の優位性を説いた本だ。この本の中で増田は、大塚の姿勢は対米従属志向であり、日本社会の良さをまったく分かっていない知的エリート専制主義であるとバッサリ切り捨てている。
 増田悦佐という人は一種の天才なんだと思う。言ってることはかなりアクの強い意見なんだけど、思わず信じたくなる魅力的な仮説でもある。「論文も物語である」という立場をとっている俺は、この本に「独創的な物語」を感じた。要約すればアメリカン・コミックスは知的エリートが子供に読ませたいと思う本であり、男尊女卑で階層固定的でヒーロー以外はみんな引き立て役に徹する世界である。対して日本のまんがは子供が読みたい本であり、男でも女でも動物でも化け物でもヒーローになれる世界なのだ。いま世界では日本の「女子供の文化」が欧米の「知的エリートの文化」を駆逐し始めているのだ。
 この増田悦佐の意見に噛み付いたのがと学会の山本弘である。日本のまんがを持ち上げるためにアメ・コミをけなしているが、そのアメ・コミについての記述がデタラメである、と主張している。まあいつもの調子で事実誤認に突っ込みを入れつつ、自国の文化を持ち上げるために他国の文化を不当に貶めるのは許せない、と結ぶ。
 この山本の増田批判みたいなことが別の場所でも繰り広げられていた。話は前後するが、「日本型ヒーローが世界を救う!」の出版直後に経済学者の田中秀臣が、自身のブログでこの本を取り上げて好意的な評価をした。そこにアメ・コミのファンがコメントを寄せて論争になった。山本弘が増田批判を書いたのはこの論争のさなかである。論争のまとめはこちら。
http://itok.asablo.jp/blog/2006/08/14/483548
 これがまた、延々と続く割には堂堂巡りの議論で、結局はお互いが平行線をたどったままフェード・アウトという感じである。批判者の言い分は「事実誤認に基づいて組み立てた論理はどんなに魅力的でも間違ってる」というもので、まあ普通の人が素朴に持っている感覚である。対して田中側は「魅力的な論理ならば後続の研究者が事実誤認を訂正しつつ精度を高めていけばよい」という学者の流儀で反論している。論争の中身よりも、この普通の人と学者の考え方の違いが面白い。批判者もかなり面食らったようだ。何しろ経済学は古典派とケインズ派が百年議論していて、お互いの論理がどんどん精密化してきたという歴史がある。
 さて、論文も物語である派の俺も事実にはあまり興味はない。そもそも物語は事実を描くものではないからね。物語にはリアリズムもある程度は必要かもしれないけど、度を越せば物語のダイナミズムが失われる。事実にこだわる人は、田中秀臣に頼んでリアリティに配慮したリメイク作品を作ってもらえばいいと思う。リアルなリメイクって大抵つまんないけど。
模倣される日本(にっぽん) 映画、アニメから料理、ファッションまで (祥伝社新書) [ 浜野保樹 ]   [rakuten:book:11546841:image]   日本型ヒーローが世界を救う!   [rakuten:book:12207396:image]