ポトラッチの経済学

 いきなり転載で恐縮だけど、ちょっと前のニュースから。
「日本に謝罪」…かつて対日批判急先鋒の米ノーベル賞教授
 【ニューヨーク=山本正実】「私たちは、日本に謝らなければならない」――。2008年のノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンプリンストン大教授は13日、外国人記者団との質疑応答で、1990〜2000年代にデフレ不況に陥った日本政府や日本銀行の対応の遅さを批判していたことを謝罪した。
 教授は、「日本の対応が遅く、根本的な解決を避けていると、西欧の識者は批判してきたが、似たような境遇に直面すると、私たちも同じ政策をとっている」と指摘。「上昇する米失業率を見ると、失われた10年を経験した日本より悪化している」と述べ、経済危機を克服するのは予想以上に難しいとの見方を示した。
 クルーグマン教授は、日本のデフレ不況時に、日銀に徹底的な金融緩和を促す論陣を張るなど、日本批判の急先鋒(せんぽう)に立っていた。
(2009年4月14日11時55分 読売新聞)
 というわけで、クルーグマン教授も謝っていることだし、俺が経済危機の打開策をコッソリ教えてあげよう。日本の学者には内緒だぜ。
 先日、マルセル・モースの「贈与論」を読んだ。レヴィ・ストロースバタイユに影響を与えた文化人類学の名著である。これは北米先住民の「ポトラッチ」という風習を紹介した本として有名だ。ポトラッチとは、酋長たちが自分の勢力を誇示するために、贈り物をしあったり自分の財産を破壊したりする風習である。贈り物が相手より少なかったり、破壊する財産が少なかったら、その酋長は相手に従属しなくてはならない。つまりこれは浪費の形を借りた戦争なのだ。詳しい説明はこちらを参照。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~geru/page018.html
 俺が最初にポトラッチという言葉を知ったのは中学のころ、かんべむさしの「ポトラッチ戦史」を読んだのがきっかけだ。この小説は「もしもコロンブスがヨーロッパに持ち帰ったのが煙草や梅毒ではなくポトラッチだったら」という設定のパラレル・ワールドSFである。作中の世界では、コロンブス以降の戦争がすべてポトラッチ形式で行われる。日本軍がハワイ沖で自国の戦艦を沈没させれば、アメリカはB−29で自国の都市を空襲する。つまり戦争という壮大な浪費をポトラッチに置き換えて風刺しているわけだ。
 ただし、マクロ経済の観点から見ると浪費は悪いことではない。ともかく誰かがお金を受け取るわけだから。経済学ではこうしてお金が回ることが重要で、溜め込むことが最も良くないとされている。だから戦争という壮大な浪費は実は壮大な経済行為なのだ。現にアメリカは戦争が公共事業になってしまった国で、常に戦争をやってないと経済が回らない。戦後の日本が復興できたのも、朝鮮戦争ベトナム戦争のおかげだ。そして浪費が経済行為であるならば、ポトラッチもまた立派な経済行為ということになる。
 「贈与論」では「ポトラッチは経済行為ではない」という結論になっているが、そこはちょっと納得できない。研究者の中にはポトラッチを経済循環のシステムと捉える者もいる。財産の破壊には新たな需要を生み出す効果があるという。日本の「失われた十年」も今のアメリカも、金があるのに回らないというのが問題なわけだから、新しい循環システムを取り入れるのも悪くないと思う。ここはひとつアメリカはポトラッチを公共事業にするというのはどうだろう。そもそもポトラッチはアメリカ発祥なんだから。
 以下は蛇足。俺もかんべむさしに対抗して経済SFでも書いてみようかな。実はこの記事を書いててちょっとしたアイディアを思いついたのだ。破壊が需要を生み出すなら、こんな事もありえるかも。時は近未来、日本では爆破テロが相次いでいた。恐怖におびえた国民は進んで管理社会に身を任す。しかし全国民が国家の管理下に置かれたにもかかわらず、テロはなくならない。なぜならテロが日本の経済循環に完全に組み込まれてしまったために、やめる訳には行かなくなっているからだ。つまりテロ組織の正体は日本政府だったというお話。

贈与論 (ちくま学芸文庫)

贈与論 (ちくま学芸文庫)