英蘭東印度会社群像

 1629年6月4日未明、オランダ東インド会社の商船「バタヴィア号」が、オーストラリア大陸の西岸沖で座礁した。船長アリアン・ヤーコブスと上級商務員フランシスコ・ペルサートは、乗員乗客を近くの無人島に避難させ、救援を求めて、47名の乗員とともにボートでジャワへ向かった。崩壊したバタヴィア号から海に投げ出されて、自力でたどり着いた者を含め、約200名が無人島に取り残された。そのなかに副商務員イエロニムス・コルネリスがいたために、島は地獄と化す。
 残留組のリーダーに選ばれた彼は「王国」の独裁者となり、意に添わぬ者を飢えと渇きで死なせたり、自分への忠誠を試すために仲間同士で殺し合いをさせたり、目の前で妻子を殺したり、女は繰り返し強姦したりと暴虐の限りを尽くし150名以上を惨殺。座礁事故による死者を含めると200名以上の人命が失われた。
 マイク・ダッシュの「難破船バタヴィア号の惨劇」は、膨大な資料をもとにこの事件を詳細に描いたノン・フィクションだ。こういう閉鎖的な環境プラス恐怖による支配の中だと、やっぱり人間は殺し合いしちゃうんだなあ。連合赤軍事件とか北九州監禁殺人事件を思い出した。この島は草木一本生えない不毛の環境だったけど、400年近く経った現在では緑あふれる島となっている。なぜなら犠牲者の死体が養分になったから。まさにリアル「桜の森の満開の下」である。このエピローグにはちょっと感動した。
 事件そのものも興味深いけど、この本では当時の東方貿易の実態が詳しく描かれていて、そちらもまた興味深い。正確な地図もないまま見切り発車のように船を出し、運よく戻ってくれば巨万の富を得られるという、のるかそるかの大博打だったのだ。当然そんな命がけの航海に参加するような船員は、世間からはみ出した男たちが多かったようだ。この本はポール・ヴァーホーヴェンが映画化を狙っているという。いかにも人間のダーク・サイドが好きなヴァホ監督にうってつけの題材だ。
 さて、陰惨な話のあとは楽しい本を紹介しよう。東インド会社史上最悪の社員がイエロニムスなら、最高の社員はさしずめこの人だろう。ジャイルズ・ミルトンの「さむらいウイリアム」は、徳川家康の外交顧問を勤めた旗本三浦按針ことウイリアム・アダムスの生涯を描いたノン・フィクションだ。この人はイギリス人だけどオランダ東インド会社と契約していた。イエロニムスの先輩にあたるわけだ。
 若きウイリアムは補給艦の艦長としてアルマダの海戦に参加している。イギリスがスペインの無敵艦隊を破ったあの海戦である。という事は、こいつはエリザベスと家康の二大英雄に仕えた男なのだ。ともかく優秀な人間であるのは間違いない。だから前半の、苦難の漂流劇から異国での出世物語は面白いけど、それなりの地位を確立してしまうと、あまり欠点の見当たらない人物だけに話に面白みがなくなる。
 作者もそう思ったのか、後半は平戸イギリス商館の愛すべきダメ男たちの群像劇になる。みんな東方貿易の船員らしい、豪快なはみ出し者ばかりだ。そして後半の主役はなんと言ってもリチャード・コックスである。イギリス商館が破産して、日本から撤退してしまったのは商館長がコックスだったせいである。
 この男、東インド会社には珍しいほどの正直者で人格円満な好人物だが、いかんせん商才がゼロである。さらに人を見る目がまったくない。日本ではとても売れそうにないガラクタばかり持ち込む。胡散臭い人間を信用しては金を騙し取られる。窮地に陥るたびにウイリアムに助けてもらうくせに、彼のアドバイスはまったく信用しないという、やることなすこと全部裏目に出る芯から悲劇的な人間なのだ。その割に宴会好きで、接待と称して連日連夜飲みまくる。女に入れ込んで貢ぎまくる。当然、部下たちはこんな男には従わない。好きだなあ、こういうダメ人間。この人の唯一の功績は、趣味の園芸を生かして、本土で初めてサツマイモの栽培に成功したことぐらいだろう。
 ちなみにウイリアム・アダムスが死んだのが1620年、バタヴィア号の遭難が九年後の1629年、鎖国が始まったのがその四年後の1633年だ。日本では徳川の幕藩体制が固まっていく時期であり、ヨーロッパではスペイン・ポルトガルの覇権がイギリス・オランダに移っていく時期だ。こういう転換期には、ヘンテコな人間がいっぱい出てくる。
難破船バタヴィア号の惨劇   さむらいウィリアム―三浦按針の生きた時代