ガラパゴス化する日本映画

 いや、この記事が面白かったから紹介しようと思っただけなんだけどね。
 http://filmmania.blog.so-net.ne.jp/2009-07-12
 日本映画がいかに世界基準から遠く離れているかを、徹底的に技術論から解き明かしている。こういうの大好き。みんなぜひ読んでみて。個人的には、日本映画みたいな画面は世界でも類を見ないので、希少価値があると思うんだけど。
 読んでて意外だったのが、みんな日本映画の画面が汚いとか、暗いと思っている事だ。俺のイメージは正反対だ。日本映画の画面はクリアーで明るすぎると思う。暗いといえばアメリカ映画なんか年々暗くなってきている。リドリー・スコットイーストウッドの初期作品と今の作品を見比べてみれば分かる。日中屋外なのに夜みたいな画なのだ。昔の基準からすれば、ほとんど擬似夜景の映像である。
 それに比べれば日本映画の屋外は明るい。リアリズムの観点からすれば、こちらの方が正解である。つまり肉眼で見たらこう見えるだろうという映像に仕上がっているのだ。明るい場所は満遍なく明るい。暗い場所は満遍なく暗い。それが日本映画の画面だ。確かに現実はその通りだが、それがかっこ良いかどうかは別である。もし日本映画の画面が汚く感じるとしたら、それはあまりにも画面が現実的だからだと思う。
 アメリカ映画の場合は屋外は何とかして逆光で撮ろうとする。できればマジック・アワーに撮ろうとする。それが駄目なら擬似夜景スレスレまで絞り込む。屋内ではなかなか電気をつけない。つけてもスタンドの電気である。このように涙ぐましい努力をして画面に陰影をつけようとする。あれだけ画面のリアリティにこだわるアメリカ人が、こと陰影の問題になるとリアリズムをかなぐり捨ててしまうのだ。
 そう、問題は陰影のつけ方なのだ。光と影のバランスである。画面がかっこ良くなるように明暗の配分をコンロールしているのだ。日本で映像派といわれる監督は、構図や色彩にはこだわるけれど、光と影のバランスの取り方に無頓着である。確かに構図と光線の両立は難しいし、両立させようとしたら物凄く手間がかかる。アメリカ映画なんかはそういう時は構図よりも光線を優先させているように見える。
 あと気になった記述が一点。記事ではフィルムに光を当てれば当てるほど綺麗に写るとあるが、これはちょっと違う。太陽光線は日本の方が強いはずだから。それにスタジオ撮影の場合は日本の方が照明過多になる傾向がある。そもそも光量はフィルムの基準値に達していれば十分で、それ以上の光を当てても画質は変わらない。その代わり隅々までピントが合うようになるが、そういう画面はむしろ日本映画的である。
 ではもう少し具体的に、日米の照明法の違いを見てみよう。ちょうど「おくりびと」がアカデミー賞を取ったので、それと作品賞を取った「ノーカントリー」を比べてみる。

 アメリカ映画はやはり電気をつけない。キー・ライトは電気スタンド一個である。それだけでは背景が全く写らないので壁に変な電球が取り付けてある(アメリカ映画ではよく壁から用途不明の電球が生えている)。コントラストが強く、影の部分は真っ黒である。そのかわりハビエル・バルデムをスタンドの真横に座らせて、顔半分をかなり明るく照らしている。ウディ・ハレルソンは正面から照らされる形になっているが、斜めを向いて座っているのでやはり照らされるのは顔半分である。加えてスタンドから離れているのでやや暗い。つまり明るい顔半分、やや暗い顔半分、それ以外は真っ黒という、かなり人工的な照明設計をしている。構図的には単純なバスト・ショットの切り返しだ。それ以外の構図で撮ろうとすると照明設計が崩れるからである。

 日本映画は蛍光灯がついてるであろう位置にライトを置いて、蛍光灯が照らすであろう感じに照らしている。だから部屋全体が満遍なく照らされている。よく見るとここにも謎の電球が壁から生えているが、特に何かを照らしているわけではない。役者が動き回る事で顔に明暗ができるわけだが、コントラストが弱いので表情がつぶれる事はない。このシーンはモックンの心情が暗いので、光量を普通より落とし気味にして沈んだ感じを出している。その後の寝室のシーンはやけに明るい。これもモックンの心情を表しているのだろう。現実的な照明設計の中で、役者を動かす事で微妙に明暗の変化をつけている。構図は役者の動きに合わせて刻々と変化していき、寄りと引きがバランスよく配分されている。日本映画が海外の映画祭でそれなりに賞を取っているのは、こういう繊細さが評価されているんだなあ。もっとも、繊細すぎて同業者にしか分からないんだけど。
 あっ、二つの画面を見てたら上手い言い方をひらめいたぞ。日本映画では、画面の明るさは全体の光量で決まる。アメリカ映画の場合は影の部分の面積で決まる。つまりアメリカ人は暗い画面を作るとき、ライトの強さを変えずに光を当てる面積の方を小さくするのだ。かなり乱暴な決め付けだが、両者の違いを端的に言い当ててると思う。これが両者のイメージの違いを生み出しているんじゃなかろうか。