自己改造した作家

 去年の正月に帰省したときの話だけど、父親が歳をとってきたので寝室を二階から一階に移す事になった。それで一階にある俺の部屋を明渡すハメになった。俺はとりあえず部屋の荷物をざっと整理して物置に放り込んでおいた。それから一年経って、今度は物置の荷物を何とかしてくれと言われた。しょうがないから今年の正月は物置にこもって荷物を半分ほど処分した。整理中に未読の小説を何冊か発見したので持ち帰ってきた。その中の一冊、ハリー・パタースンの「ヴァルハラ最終指令」を読んだ。
 ハリー・パタースンというのは戦争冒険小説の最高傑作といわれる「鷲は舞い降りた」で有名なジャック・ヒギンズの別名である。この人は色々なペン・ネームを使い分けるくせに、作品の内容はどれもあまり変わらないという不思議な作家である。「ヴァルハラ最終指令」は「鷲は舞い降りた」の翌年に発表された、こちらも同傾向の戦争冒険小説である。高校時代に買ってそのまましまい込んでいたようだ。あの頃は冒険小説やハード・ボイルドなんかにハマっていた。懐かしいなあ。
 ジャック・ヒギンズはもともと、地味なストーリーをキャラクターの魅力で読ませる人だったが、なかなか芽が出なかった。しかし「鷲は舞い降りた」でブレイクして以降、微妙に作風が変わる。キャラクター描写をある程度抑えて、ストーリーで読ませるようになったのだ。それ以降はベストセラーを連発するようになった。本人も「鷲は舞い降りた」で完全にコツを掴んだと言っている。ところが日本では少々事情が異なる。ブレイク後の作品はストーリーに寄りかかりすぎという事で、あまり評価が良くないのだ。何しろ「鷲は舞い降りた」に次いで人気のある作品がブレイク前の「死にゆく者への祈り」という国である。日本人というのはやっぱりキャラ萌えの国民性なんだな。
 そういう予備知識が頭にあったので、それほど期待しないで読んでみたが、意外と面白かった。確かにキャラクター描写は抑えているが、苦心してストーリーに溶け込ませている。つまり長い会話をさせたりエピソードを用意するのではなく、話の流れの中で、しかるべき状況でしかるべき台詞を言わせる事でキャラを印象付けるやり方だ。これは小説よりも、時間的制約のある映画でおなじみの手法である。
 この小説はそんなに長くないんだけど、読むのに結構時間がかかった。登場人物がやたら多いのと、場面転換がかなり頻繁に起きるせいだ。場面が切り替わるたびに、出てくる奴が誰だったか思い出さなくてはならないので、その積み重ねでかなり読むスピードが落ちてしまう。ヒギンズは章の始めなのに「AとBが部屋に入るとCとDが談笑していた」みたいな書き方をしてくる。これで一瞬立ち止まってしまうのだ。まるで映画のシナリオのような文章だ。そう考えてハッとひらめいた。ブレイク後のヒギンズを読み解くキーワードは「映画的な小説」かもしれない。
 特徴的なのは、事件に関わる大勢の人間をモザイクのように組み合わせて物語を組み立てている点だ。いわゆる三人称多視点という書き方である。ただでさえ欧米の小説はいろんな視点で書きたがるが、この作品は視点の多さが群を抜いている。「鷲は舞い降りた」も多かったけど、「ヴァルハラ最終指令」の方がキャラクター描写を抑えてある分、目まぐるしくなっている。ただし小説としては目まぐるしくても、これを映画のシナリオと思って読んだらどうだろう。むしろかなり出来の良い部類に入るんじゃないか。頻繁な場面転換も映画なら普通である。もっともそのまま映像化したら凄い長時間になるけど。
 ヒギンズの小説はこれで八冊読んだことになる。ちょうどブレイク前の作品が四冊、ブレイク後が四冊だ。ブレイク前の作品は「死にゆく者への祈り」を除いてすべて一人称で書かれている。ここからは俺の想像だけど、ブレイク前の彼は一人称でしか書けない作家だった。恐らくこれではいけないと思ったのだろう。従来のスタイルを三人称に置き換えたような「死にゆく者への祈り」を経て、「鷲は舞い降りた」で独特の三人称多視点スタイルを確立する。それ以降は完全に多視点の作家になった。
 だからヒギンズにとって「鷲は舞い降りた」は過渡期の作品であり、まだ濃厚なキャラクター描写が残っていたので、かなり分厚い作品になってしまった。たぶんもっと映画みたいに読める作品が理想だったのだろう。それ以降は一貫してキャラクター描写を抑えている。しかし日本の読書人にとってはあまりにも映画的過ぎた。「鷲は舞い降りた」がなぜ最高傑作なのかというと、ストーリーとキャラクター描写が渾然一体となっているからである。つまり小説的なのだ。これは作者にとっては皮肉な結果かもしれない。
 作家にとって人称は重要な問題である。ここからはヒギンズを離れて、小説や映画における視点と人称について書こうと思ったけど、長くなりそうなので続きはまた次回。
 「ヴァルハラ最終指令」のあらすじ&名(?)ゼリフ集はこちら。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1355/books0008.html
 ↑冗談でキャラ萌えとか書いたけど、まさか本当にこんな人がいるとは思わなかった。やおいはどんな場所にも出現するんだなあ。ちなみにこの本は絶版である。
 下は映画「鷲は舞いおりた」の予告。この作品はとにかくキャスティングが完璧なのだ。ラロ・シフリンの音楽も素晴らしい。そのふたつだけでも見る価値がある。