黒死館のアルジェント

 前回の記事で観ゼミの告知をしてしまったので、事後報告的なものを書かなきゃいけないんだけど、どうにも気力が出ないまま二週間が経過してしまった。なぜ気力が出ないかというと、映画がそんなにテンションの上がる作品じゃなかったからだ。はっきり言ってヌルかったのである。やっぱり予告の面白すぎる映画は要注意だな。
 「四匹の蝿」はダリオ・アルジェントの三作目で、イタリアのヒッチコックなどと呼ばれていた時期の作品である。幸か不幸かアルジェントは後に「サスペリア」の世界的なヒットでホラー映画の巨匠的な扱いを受けるわけだけど、本質的にはミステリーをやりたい人なのだ。ただこの人の映画はミステリーにしてはヘンな所がいっぱいあるので、特に日本ではそういう文脈で語られる事があまりなかった。でもこの作品なんかはホラー的な要素が薄いので、わりと彼の本質が見えやすいんじゃないかと思う。
 アルジェントの欠点としてよく挙げられるのが、脚本に論理的一貫性が無く、場面場面がバラバラでつながりが無いというものである。この欠点は本作でも遺憾なく発揮されている。思わせぶりなシーンが本筋と何の関係もなかったり、逆に何の伏線も無くいきなり犯人の手掛かりを掴んだりする。これはアルジェントの創作方法に原因がある。彼にはまず描きたいイメージが先にあり、ストーリーはその後で考える。つまりストーリーは団子の串のようなもので、彼にとっては最初にディティールありきなのだ。とても脚本家出身とは思えない。そういう作り方なので、一つ一つのアイディアの出来のよさが勝負になってくる。逆にいえば良いアイディアで埋め尽くす事が出来なければ駄作になる。
 論理的一貫性がないというのは、なんだかミステリーと真逆の方向性に思えるけど、それにもかかわらずアルジェント作品はミステリー映画である。なぜなら彼の描きたいイメージというのは、幼児期のトラウマとか、姿なき脅迫者とか、四匹の蝿のトリックとか、殺人が起きてるのに壁に隔てられて助ける事が出来ないとか、ことごとくミステリー趣味だからである。まあ、ミステリー映画というより、ミステリー趣味映画といったほうが妥当か。
 予告を見れば分かる通り、相変わらず人が死ぬシーンの演出は気合が入っていた。殺人シーンになると急にカメラの動きが面白くなる。もっとも後年の諸作に比べればかなり穏当な描写だったけど。あと意外だったのは、ものすごくギャグが多いことだ。それもヒッチコック的なユーモアではなく、イタリア的なドタバタである。これは「サスペリア」以降の作品には無い傾向だ。そして大体想像がつくと思うけど、アルジェントに喜劇作家の才能はない。もしくはイタリア国外で通用するギャグ・センスの持ち主ではない。それはこの映画の次回作であるコメディの「ビッグ・ファイブ・デイ」が大コケだった事でも明らかだ。そして彼はギャグを封印して以降、国際的名声を勝ち取っている。すなわち「四匹の蝿」のかったるさの半分は大量に挟み込まれたギャグに原因があると俺はにらんでいる。
 それにしても気合の入った殺人シーンとしょうもないドタバタが同居してたり、脚本のまとまりのなさなんかを見ると、なんとなく香港映画を髣髴とさせる。「八仙飯店之人肉饅頭」とかの系統だ。ただ香港映画はサクサク進むけど、アルジェントの映画はスロー・テンポである。スローなのはいつもの事としても、この映画が特にかったるいのは何故か。原因の残り半分は撮影監督の腕前だと思う。もちろん撮監のフランコ・ディ・ジャコモは後に「サン・ロレンツォの夜」や「イル・ポスティーノ」といった名作を撮るんだけど、この映画では殺人シーン以外の画面がなんだか凡庸な感じがする。あるいはこの撮監、都会を撮るのが苦手なのかもしれない。「サスペリア」もスローといえばスローだったけど、撮監ルチアーノ・トヴォリ必殺の画作り(わざわざ古い低感度フィルムを使っているので、暗いシーンでも照明をたきまくっている)のおかげで、間が持ってしまうのだ。
 そういえば日本にも、アイディアを団子のように並べてるだけでストーリーはまるで無内容、というミステリー作家がいるじゃないか。それにも関わらず(あるいはそれ故に)巨匠扱いされていて、代表作はオールタイム・ベストの上位にかならず顔を出している。その文体のいびつさや独特の美学を含めてアルジェントは小栗虫太郎に似ている。もちろん作品世界は全く違うけど、作家としてのあり方やファンからの愛され方なんかはかなり共通するものがあると思う。彼の作品もミステリーというよりミステリー趣味小説だ。
 小栗は代表作「黒死館殺人事件」の発表後、急速にアイディアが枯渇していった。これは団子方式で物語を作っている人間の宿命である。なぜなら常に質のいい団子で作品を埋め尽くすことは不可能だからである。たしかに心身ともに絶好調の時期ならそういう作品を作る事は可能だろう。それが小栗にとっての「黒死館殺人事件」であり、アルジェントにとっての「サスペリア2」と「サスペリア」である。しかし作家的体力が落ちてくれば、どうしても質の高い団子ばかりという訳にはいかなくなる。そんなときに必要になってくるのが、おそらく物語作りのテクニックというやつだろう。物語に吸引力があれば、多少凡庸なシーンが混ざってても気にならないわけだから。では物語作りのすべを持たない作家はどうなるかというと、小栗のように急速な下降線をたどるか(のちに「人外魔境」で復活するけど)、アルジェントのように緩やかな下降線をたどるかである。
 とにかくこれで未見のアルジェント作品は二作目の「わたしは目撃者」だけになった。予告編を見ると凄く面白そうなんだけど、どうかなあ。やっぱり人が死ぬシーンの演出は水際立ってるけど、それ以外の画作りは凡庸な感じがする。

 さらに詳しくアルジェントが知りたい方はこちら。
http://jmedia.tv/argento/dariotopj.html