伊太利亜黄表紙(2)

 マリオ・バーヴァという人は凄い監督ではあるけども、その作品は必ずしもバランスの取れたものではない。前回も書いたように、映像は凄いけど話はデタラメという作品が多い(一本も見てないけど)。そういうムラのある人だからこそジャーロという特異なジャンルを生み出せたのだろう。しかしバーヴァが「モデル連続殺人」を撮った64年はセルジオ・レオーネが「荒野の用心棒」を撮った年でもある。それ以降のイタリア映画は完全にマカロニ・ウエスタンの時代に突入していき、ジャーロはいまいち定着しなかった。本格的にジャーロのブームが訪れるのは、マカロニ・ウエスタンが下火になってきた69年にダリオ・アルジェントが「歓びの毒牙」で監督デビューしてからだ。
 映画評論家だったアルジェントはレオーネの「ウエスタン」の原案をベルナルド・ベルドルッチと共同で担当したのがきっかけで脚本家に転身した。いわばレオーネの弟子筋に当たるわけで、本人も「自分の功績はジャーロにマカロニ・ウエスタンの要素を持ち込んだ事だ」と語っている。その過剰な暴力性も勿論だが、俺にはむしろレオーネ流の特異な空間感覚を取り入れようとしている気がする。しかし旧世代のレオーネがイタリアン・バロックの尻尾を引きずった過剰な画面であるのに対し、アルジェントのそれはアール・ヌーヴォーの感性である。wikipedia:アール・ヌーヴォー
 とはいえ凝った画面にいいかげんな推理というバーヴァの骨格は忠実に踏襲してるわけだ。アルジェントの「歓びの毒牙」が大ヒットしたのをきっかけに、イタリアでジャーロの一大ブームが訪れる。すっかりお株を奪われた形のバーヴァだったが、転んでもただでは起きないのがこの人の偉いところだ。71年にホラー映画の流れを変えたといわれる渾身の一作「血みどろの入江」を撮り上げる。この作品ではまたしても先駆者ぶりを発揮して、容赦ないスプラッター描写で80年代のアメリカン・スラッシャーを完全に先取りしてしまった。実際、「13日の金曜日」にそっくりのシーンが出てくる(断片的な映像をユーチューブで見た)。それ以降のジャーロは次第にスプラッター描写に重点が置かれるようになる。主なジャーロのリストはこちら。
http://www2.plala.or.jp/MORIYAKEIJI/WHATSGIALLO.htm
 何と言うか、うんざりするほど大量にあるなあ。ジュリオ・クエスティの「殺しを呼ぶ卵」とかルチオ・フルチの「幻想殺人」「マッキラー」とか見たいやつはいっぱいあるけど、一番気になるのはエミリオ・ミラグリア監督の「The red queen kills 7 times」だな。童話的雰囲気のジャーロで、アルジェントもお気に入りなんだってさ。ブルーノ・ニコライの音楽もイイ感じ。アメリカン・スラッシャーはあっけらかんとしてて乾いてるけど、ジャーロにはヨーロッパ的陰湿さがあって横溝的な面白さを感じる。赤の女王と黒の女王の伝説が現代に甦るとか、いかにも横溝が好きそうな感じ。

 そう考えると、70年代から80年代にかけて作られた一連の横溝映画は日本のジャーロと言ってもいいだろう。そもそもブームを決定付けた市川昆にしてからがスタイリッシュなカメラワークに思い切ったスプラッター描写という、バーヴァやアルジェントに通じる方法論で撮ってたわけだし。本家のジャーロと違う点はストーリーがしっかりしてる所と、オールスター・キャストの大作映画であるところだ。ブームの末期にはネタが切れたのか「この子の七つのお祝いに」とか「湯殿山麓呪い村」とか横溝のパチモンみたいな映画が作られたけど、そういう流れ自体がジャーロ的だ。むしろパチモンの方にこそジャーロ的な味わいが濃厚に出ているかもしれない。
 個人的に横溝映画のベスト・スリーを挙げると「本陣殺人事件」(ATG)「悪魔の手毬歌」(東宝)「八つ墓村」(松竹)といったところか。その中でも一番のお気に入りが「本陣殺人事件」だ。ブームが本格化する前に作られたので、低予算で地味なキャスト。でもATGらしい前衛的な映像が随所に見られる。予告を見ると分かるけど、これが凄くジャーロっぽいんだ。