獅子心王、尊厳王、失地王(4)

 前回は「ロビン・フッド」の時代を通り越して十字軍運動の顛末まで話が飛んでしまった。なぜ十字軍の話を始めたかというと「ロビン・フッド」を理解するのに必要だったからだ。しかしその顛末にまで話を広げる必要はなかった。調子に乗りすぎだね。今回は時計の針を100年巻き戻して、リチャード獅子心王が十字軍遠征を終えて戻ってくる所からはじめよう。
 ロビンフッドもののストーリーは昔から大体決まっていて、リチャードが遠征に赴いている間に弟のジョンが圧政を始め、ロビンはそれに反抗するというパターンだ。そしてラストは判で押したように、遠征していたリチャードが帰国してENDとなる。それまでこじれていた問題がリチャードの登場によって何となく解決したような雰囲気になって終わるわけだ。
 しかし現実は甘くない。史実では、遠征から帰ったリチャードはすぐにフランスへ渡って、今度はフィリップ二世と戦争を始めてしまう。「冬のライオン」にも出てきたフランス王フィリップだ。原因は遠征中にフィリップが弟ジョンをそそのかして反乱を起こさせたから。そして戦闘中に受けた傷が元であっけなく死んでしまう。何しろこの王様はおよそ十年の在位中、イングランドに滞在したのはわずか七ヶ月という人なのだ。獅子心王はまたの名を不在王ともいう。
 戦死したリチャードの後を継いだ弟ジョンはアホなのでフィリップ二世の策略にまんまとはまり、フランスに所有する領地の大半を失ってしまう。だからジョンは失地王と呼ばれている。反対に領地を大量獲得したフィリップは尊厳王と名付けられた。「冬のライオン」以来のフィリップの野望がようやく達成されたわけだ。これ以降のイングランド王はブリテン島に引きこもらざるをえなくなる。王様にイングランド人としての自覚が芽生えるための、これが第一段階といえる。ジョン失地王の体たらくに怒った諸侯は彼に詰めより、王の権力を制限したマグナ・カルタに調印させる。獅子心王の死からここまでが十五年である。
 リドリー・スコット版はどうかというと、リチャード獅子心王の死を十字軍遠征からの帰還途中の出来事というふうに改変して、それを冒頭にもってきている。イングランドへの一時帰国はなかった事にされているのだ。それから一年ぐらいで早々と諸侯の反乱が起き、マグナ・カルタが制定されてしまう。その直後にフィリップ尊厳王が挙兵して、クライマックスのイングランド侵攻になだれ込む。順番がおかしいだろ。この映画は歴史上のトピックをちりばめて史実にこだわったような顔をしているが、ここまで大胆に改変しているのだ。過去のロビンフッドのほうがよっぽど史実に矛盾なく話を収めているじゃないか。
 長いスパンの歴史の流れをギュッと圧縮して一年かそこらの物語に再構成する、というやり方は「キング・アーサー」そっくりだ。そしてこの映画でも、クライマックス直前にロビンが自由主義的演説をぶつ。しかし同じ自由主義でも「キング・アーサー」よりずっとラディカルな内容だ。ここでロビンは政府の干渉主義そのものを否定している。前半から重税に苦しめられる描写がしつこいから、もしやと思ってたが、この演説を聞いて納得した。ロビンが主張しているのはリバタリアニズム(自由原理主義)だ。NHKでやってた「ハーバード白熱教室」を見ていたから、すぐにピンと来たぜ。
 ハーバードのマイケル・サンデル教授によると、リバタリアニズムは個人の自由や所有権を含む権利を非常に重要と考える。だから国家がそれらを制限する事を認めていない。いわゆる最小限国家論である。そして課税による富の再分配も認めていない。なぜなら課税は個人の労働の成果を盗む行為だから。あれ? ロビンフッドといえばシャーウッドの森を通る金持ちから通行税を徴収するんじゃなかったっけ。今でも紛争地帯でゲリラが支配している地域は、バスの中にゲリラが入り込んできて通行税を取る。あれと一緒でしょ。しかもロビンの場合はそれを貧民にばら撒くわけだから、完全に再分配肯定の社会主義者だ。リドリー・スコットリバタリアンのくせにそんな義賊ロビンフッドを映画化しているわけだ。そうか、だからこの映画は義賊になる前で終わっているのか。
 このマグナ・カルタの皮を被ったリバタリアニズム思想を生んだのは、石工だったロビンの父親という事になっている。石工という事はここでフリーメーソンの存在がほのめかされている。恐らくロビンの父親を支援した北の諸侯たちはアングロ・サクソン系の豪族だ。豪族たちはノルマン人に服しながらも裏では秘密結社を通じて連帯していたという事か。この辺はまあ「ダ・ヴィンチ・コード」を意識したお遊びなんだろうな。そういえば戦前の「ロビンフッドの冒険」ではサクソン人とノルマン人の対立が前面に出ていたけど、リドリー・スコットはそういう人種対立をほとんど描かない。これは時代状況の変化が影響しているのかもしれない。いまや黒人がアメリカ大統領になるご時世だからね。いまさら人種問題でもないだろう。それよりも、外国勢力に内通するスパイの危険性を訴える内容になっている。
 確かにこの頃はフランス王に寝返るノルマン貴族が多かったのかもしれないけど、もともとフランス人なんだからそんなに卑劣な行為でもないと思う。少なくとも売国奴という感覚ではないだろう。フリーメーソンだって、例えこの頃すでにあったとしても、それはただの石工組合のはずである。この団体が政治的色彩を帯びて秘密結社化するのは、それこそ近代に入ってからだ。リバタリアニズムに到っては最新の政治思想である。時代劇でここまで歴史を改変するのは日本映画ではちょっと考えられない。でも、よく考えたら昔のアメリカ映画も出来るだけ史実に矛盾しないように作っていたはずだ。「ロビンフッドの冒険」はちゃんと史実の空白期間に収まるように話を作ってたし、50年代の「バイキング」だって自由主義者なんか一人も登場しない。こんなに歴史を改変するようになったのはここ十年ぐらいだと思う。きっかけになったのはメル・ギブソン監督・主演の「ブレイブハート」じゃないかと俺は睨んでいる。
 「ブレイブハート」に出てくるのはジョン失地王の孫エドワード一世だ。彼はじいちゃんが失ったフランス領地の損失補填をするために、スコットランド征服に乗り出す。しかしメル・ギブソン扮する英雄ウイリアム・ウォレスの頑強な抵抗にあい、上手くいかない。物議をかもしたのは後半の展開だ。エドワード一世は和議のために息子の嫁イザベラを使者としてウォレスのもとに行かせる。それによって事態は意外な方向へ向かう。だが史実によると、イザベラがイングランドに来たのはエドワード一世の死後なのだ。だから映画のように老王がイザベラを使者として遣わす事はありえない。この改変は従来の基準から言えばアウトだろう。しかし映画が大ヒットしてアカデミー賞を総なめにしたので、免罪符みたいになってしまった。こうして、その後の時代劇は歴史改変が当たり前になった、というのが俺の推理だ。そしてこの映画でもやっぱり主人公は「フリーダム」と叫んでいる。まあ良く言えば歴史映画の作劇法の新しいスタンダードになった作品なんだろうけど。
 皇太子時代のエドワード一世は一応、最後の十字軍を率いた事になっている。しかし「十字軍物語」では正式な遠征にカウントされていない。しかも塩野先生の評価は「十字軍を気取った」男だ。センセイ手厳しいね。たしかに彼は十字軍では何の成果もあげてない。でも王様になってからは国内を安定させたし、一時的とはいえスコットランド支配下においている。だからイングランドでは文武両道の名君と評価されてるようだ。
 ちなみに息子のエドワード二世はおそらく英国史上最低の、ジョン失地王に輪をかけたダメ君主である。そのダメっぷりはデレク・ジャーマン監督「エドワードII」でいかんなく描写されている。らしいんだけど俺はまだ見てない。解説を読むと前衛劇を美しい映像で撮った舞台中継のような映画らしい。監督はバリバリのアート系だからな。ただし原作はマーローの舞台劇なので、ストーリーはしっかりしているようだ。このエドワード二世がダメだったおかげでスコットランドは勢力を盛り返す。おまけにこの王様はゲイで、愛人を重用して国政を傾けてしまう。怒った奥さんによって幽閉され、最後は肛門に焼け火箸を突っ込まれて悶死するのだ。
 このエドワード二世とイザベラの子が百年戦争を始めたエドワード三世だ。彼は父親に似ず優秀な武将で、破竹の勢いでフランスに進軍する。メル・ギブソンはこの事実にニヤリとして欲しいのだろう。ともあれ、1066年のノルマン・コンクエストから1337年の百年戦争開戦まで270年。ここからようやくイングランド王はイングランド人になっていく。さて、四回も費やした「ロビン・フッド」の話がようやく終了するぞ。最後まで読んでくれた人は本当にお疲れ様でした。
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