突然変異手塚アニメ

 ちょっと前に「アニメ師・杉井ギサブロー」というドキュメンタリー映画を見た。杉井ギサブローとは80年代にTVアニメ「タッチ」の演出で名を上げ、続いて劇場用アニメ「銀河鉄道の夜」を監督した人だ。俺の印象だと70年代の後半に出崎統が出てきて、次にりんたろうが出てきて、さらに富野・高橋の時代になって、それからようやく杉井が出てきたという感じだった。後年になって、上の面々はTVアニメの草創期から虫プロで活躍してた人たちだと知った。このドキュメンタリーで初めて知ったのだが、杉井の場合は途中で十年ほどブランクがあって「タッチ」で再び第一線に復帰したのだそうだ。
 映画の前半は本人および関係者インタビューによる杉井の半生、後半は杉井の新作「グスコーブドリの伝記」のメイキングである。中でも一番興味深かったのはやっぱり、虫プロでTVアニメを一から作り上げていった杉井の青春時代だ。後に巨匠になる若者たちが梁山泊さながらに集まってくる様子は話を聞くだけで楽しい。最近新書で出た「まんがトキワ荘物語」を髣髴とさせる面白さだ。

 映画ではインタビューの合間に杉井の担当した作品が断片的に挿入されていく。その中でも俺の目を引いたのが69年に手塚が製作した劇場用アニメ「千夜一夜物語」から始まる、通称アニメラマ三部作である。世界でも類を見ない、大人のためのエンターテイメントを狙ったアニメだそうだ。アニメラマ路線が続かなかったのは非常に残念だ、と杉井は語っていた。それらの映像がなんだか他とは違う異質な雰囲気を醸し出していた。「千夜一夜物語」で杉井が担当したのは、性交をイメージ的に処理した非常に実験的なアニメーションだ。単色の背景の中、絡み合う肉体が変容して次第にひとつの肉塊になっていき、最終的には線のうごめきだけでエロチシズムを表現している。正直言って「グスコーブドリ」より「千夜一夜物語」のほうに興味がわいた。
 それで「千夜一夜物語」を見てみたんだけど、いやー驚いた。メチャクチャ面白いじゃないか。開巻劈頭、主題歌「アルディンのテーマ」にのって主人公が砂漠を歩くシーンから画面に釘付けになった。巨匠冨田勲によるやたらかっこ良いサイケデリック・ロック。歌っているのは何とチャーリー・コーセイだ。歩いてるアニメーションなのに背景を動かさないから一ヶ所で足踏みしてるように見える。この不思議な演出は何だ。その後も実験アニメ的な手法が連続するんだけど、上滑りすることなく作品に溶け込んでいる。そしてきちんと娯楽作品として成立している。なにより画面から放射されるエネルギーが凄い。日本の劇場用アニメというのは作風で大別すると、TVアニメからの派生かスタジオジブリ的世界かのどちらかだと思うんだけど、この映画はどちらでもない突然変異的な作風である。杉井が残念がるのも分かる気がする。
 正直言って今まで俺はまんが家としての手塚治虫は大好きだけど、アニメ製作者としては完全に舐めていた。かつて宮崎駿は手塚アニメを「自分が義太夫を習っているからと、店子を集めてムリやり聞かせる長屋の大家の落語がありますけど、手塚さんのアニメーションはそれと同じものでした」と評していたけど、俺もまあそれに近い印象があった。もちろん「おんぼろフィルム」や「JUMPING」といった評価の高い短編も一応は見ていて、その出来ばえにはかなり感心した。しかし俺の手塚アニメ観を覆すまでには到らなかった。おそらく「火の鳥2772」を見たときの印象が後々まで尾を引いていたのだろう。この映画は大人になってからまともに鑑賞した最初の手塚アニメだった。
 オープニングはATG風の白地に黒活字の渋いタイトルクレジット。本編が始まって十五分ぐらいは台詞なしの実験的演出が続く。完全に大人向けの作りだけど、それが過ぎると急に対象年齢が低くなる。「火の鳥2772」は大人向けの実験的演出と若者向けのメカアクションと子供向けのギャグが混在した奇妙な作品だった。あまりにも統一感がなくてびっくりした覚えがある。まさに手術台の上でミシンとこうもり傘が出会ったような感じだが、それが美しくないのだ。特に子供向けのギャグが滑ってるのは痛かった。これで印象がかなり悪くなった。しかし「千夜一夜物語」を見た以上、考えを改めなきゃいかんなあ。
 思えばまんが家としての手塚が中年を過ぎてスランプになったのは子供を相手にすると滑るようになったからだろうし、70年代以降復活できたのは「空気の底」や「きりひと讃歌」で青年まんがのノウハウを身につけたからだろう。復活作の「ブラックジャック」は、ぶっちゃけ「空気の底」や「きりひと讃歌」の世界を少しマイルドにしただけともいえる。晩年になると「陽だまりの樹」や「アドルフに告ぐ」といった大人向け作品の完成度がもっぱら注目されていた。それなら手塚アニメだって子供に色目を使わなければ十分面白いはずだ。そういえば「火の鳥2772」でも一番面白かったのは大人向けの作りだった最初の十五分だ。だから徹頭徹尾大人を相手に作った「千夜一夜物語」が面白いのは当然である。ちなみに「千夜一夜物語」の制作時期は手塚が青年まんがに進出した頃と一致する。
 そこで手塚アニメについてもっと調べてみようと図書館に行ったら、そのものズバリ「アニメ作家としての手塚治虫」という本があるじゃないか。読んでみたらそこにはかつての宮崎による手塚批判を片っ端から覆す証言、文献、論考の目白押しである。長くなったのでいったん切るけど、次回はこの本について語ってみたい。
グスコーブドリの伝記 [DVD]  まんが トキワ荘物語(祥伝社新書288)  千夜一夜物語 [DVD]  火の鳥2772 愛のコスモゾーン [DVD]