やまロス症候群の処方箋

 山崎豊子が亡くなって一ヶ月がたった。ものごころ付いたときから、この人の作品はくり返しドラマ化されていた。特に改変期のスペシャル・ドラマなんか、彼女と松本清張有吉佐和子のローテーションで成り立っていたといって過言ではない。「女系家族」や「三婆」なんて何回見たか分からない。そんなドラマ原作御三家の最後の生き残りだった人だ。
 山崎豊子が亡くなった時期というのは、ちょうど「半沢直樹」が最終回で今世紀最高の視聴率を記録した一週間後だ。「半沢直樹」が今までにないタイプの社会派ドラマだっただけに、否が応にも「ひとつの時代の終わり」を感じさせた。有吉佐和子が死後ゆるやかに忘れられていったのと同様、この人もこれから徐々に忘れ去られていくのだろうか。
 そういえば「半沢直樹」と同時期に朝ドラの「あまちゃん」も大人気になっていて、番組が終わったら心にぽっかり穴が開いたような状態になる人が続出したらしい。これを「あまロス症候群」というのだそうだ。山崎豊子が亡くなった今、似たような状態になっている「やまロス症候群」の人もたくさんいると思う。そういう人たちのために、山崎豊子みたいな小説をいくつか紹介しよう。今でこそ彼女のような小説を書く人はなかなかいないかもしれないが、過去にさかのぼれば同じカテゴリーの作家はけっこう見つかる。
 山崎豊子のエッセイ集「山崎豊子 自作を語る」を読むと、彼女が石川達三を社会小説の先輩としてお手本にしていたことがよく分かる。世間の認識もそうだったらしく、「白い巨塔」が世に出たとき、マスコミは彼女を「おんな石川達三」と名づけたそうだ。同書には松本清張との対談が載っており、清張が「石川さんの弟子にして下さいといった」ことがあると告白したら、山崎も「石川先生のところに通おうと思った」と応えている。つまり松本清張山崎豊子の師匠格ともいえる作家なのだ。今でこそ完全に忘れられた存在になっているが、昔はベストセラーを連発していて、そのタイトルがことごとく流行語になるほどの人気作家だった。第一回の芥川賞受賞者だからキャリアは古い。プロレタリア文学イデオロギー性から脱却して、現代的な社会小説のスタイルを確立したパイオニアとも言える重要人物なのだ。
 そこで山崎ファンにおすすめしたいのが「人間の壁」だ。これは佐賀県日教組弾圧(佐教組事件)をモデルにした大作である。かつて山崎は教育をテーマにした小説を構想したことがあるが、この作品を越えることが出来ないと判断して執筆を断念したという。彼女にとってついに「越えられぬ壁」となった作品である。しかしながら大阪商人の娘である山崎豊子は転んでもタダでは起きない。組合への弾圧というモチーフはのちの「沈まぬ太陽」にきっちり取り入れられている。
 石川達三からもうひとつ、「傷だらけの山河」も紹介したい。これは西武グループの創業者である堤康次郎をモデルにした小説で、特に「華麗なる一族」ファンは必読の書である。物語は父親のあくなき事業欲によって息子が犠牲になるという、どこかで聞いたような話だ。しかも主人公は冷酷な事業家であると同時に異常な好色漢という二面性をもっている。これは明らかに万俵大介のキャラ造形に影響を与えた作品でしょう。
 石川達三はこの辺にして、ライバルの松本清張からも一作挙げよう。なにしろ彼は石川達三を介した精神的な兄弟子ともいえる存在だ。「不毛地帯」の連載が完結したのとほぼ同時期に、清張も同じく商社を舞台にした作品を発表した。安宅産業破綻をモデルにした「空の城」である。これは凄いぞ。あの山崎豊子が「食いつくように読ん」で「参った」「さすが松本清張」と言わしめた作品だ。しかも「不毛地帯」の最後は油田開発の話だったけど、「空の城」は油田経営からその破綻にいたる物語だ。ちなみに破綻後の安宅産業は伊藤忠商事(近畿商事のモデル)に吸収合併された。このように両者はなんとなくリンクしているのである。
 続いて海外の小説にいってみよう。五年くらい前に「山崎豊子アメリカン・ベストセラー」という評論を書いて同人誌に発表したことがある。欧米の出版界には社会派メロドラマと呼ばれるカテゴリーがあり、それらの作品群は山崎豊子の小説とそっくりである、という趣旨の論文だ。社会派メロドラマとは、簡単に言えば、社会問題の分析をメロドラマ的手法で小説化したものである。チャールズ・ディケンズのパノラマ的社会小説に始まり、アメリカでは「アンクル・トムの小屋」から定着したジャンルである。1960年代に入ったあたりから、企業社会を舞台にした現代的な作風の作家が次々と登場して一大潮流を作り上げた。奇しくも同じ頃、日本でも松本清張山崎豊子が社会派的な作風に方向転換してブームを巻き起こしている。
 社会派メロドラマの代表はなんといってもハロルド・ロビンズだろう。wikipedia:ベストセラー作家の一覧によると、この人は世界で7億5千万部も売り上げたという化け物である。彼の小説は濡れ場が多く、いかにもアメリカ大衆小説といった作風だ。しいていえば山崎豊子梶山季之のサービス精神を加えた感じか。おすすめは、デトロイトの自動車業界を舞台に企業内部の権力闘争を描いた「ベッツィー」という作品だ。これまた「華麗なる一族」にそっくりなのだ。祖父である会長と孫である社長の対立が物語の中心になっていて、その背景には三代にわたる一族の愛憎劇が隠されている。回想シーンでは何と祖父が息子の嫁に手をつけるエピソードが出てくるのだ。
 映画で有名なマリオ・プーヅォの「ゴッドファーザー」は犯罪小説に社会派メロドラマの手法を持ち込んだ珍しい作品だ。マフィアを家族経営の企業に見立て、その経営ノウハウや後継者問題を描いている。小林信彦のユーモア小説「唐獅子株式会社」に、「ゴッドファーザー」を大阪の漬け物屋の話に作り変えるというギャグが出てくるけど、そういう翻案が可能なのは本質的にメロドラマだからである。初期の船場ものファンにおすすめ。
 山崎豊子は一時期、日本のアーサー・ヘイリーと呼ばれていたことがある。アーサー・ヘイリーもまた社会派メロドラマの中心的作家だ。日本では情報小説のような読まれ方をしていたけど、本質的には男女の愛欲や野心家の転落といったプロットを好んで書くメロドラマ作家だ。ここでは銀行を舞台にした「マネーチェンジャーズ」を挙げておこう。次期頭取の座をねらう二人の副頭取による権力闘争を軸に、クレジット・カード偽造団の暗躍など多彩なエピソードを絡ませる。対照的な二人の対立劇というのは山崎作品でもおなじみのパターンだ。
 対立劇といえばジェフリー・アーチャーのあれを忘れてはいけない。「ケインとアベル」は、生まれも育ちも対照的な大物銀行家とホテル王による、半世紀にもわたる対立を描いた名作である。後半では子供同士が恋に落ちてしまい、ロミオとジュリエット状態になるのだ。お前らは壱岐と鮫島か。この小説が出版されたのは1979年だから、欧米の社会派メロドラマのムーブメントがかなり下火になってきた頃である。代わって「将軍」とか「戦争の嵐」といった歴史ものが流行し始める。若者はモダンホラーに流れていった。
 日本でも社会派的な深刻さはしだいに敬遠されるようになり、物語性の薄い企業情報小説のようなものが中年男性にのみ読まれるようになる。山崎豊子の小説作法は、そういった企業情報小説とは似て非なるものである。はじめに人物設定を作り、ストーリーを組み立て、その後でそれに合う舞台(モデル)を探す。彼女の小説がしばしばモデル問題で物議をかもし、善人といえない人物を善人に設定していると非難されるのは、こういう作り方をしている以上、仕方のないことかもしれない。つまり山崎作品は業界ものの皮をかぶったメロドラマであり、かぶった皮が恐ろしく分厚いために多くの人が勘違いしているだけなのだ。おそらくそういう書き方のせいで、偶然にも欧米の社会派メロドラマに接近してしまったのだろう。しかも作品の分量といい発表頻度といい完全に欧米作家のやりかたで書いているからね、この人は。
 今回の記事で紹介した作家たちはジェフリー・アーチャーを除いてみんなお亡くなりになっている。そして亡くなった途端、絶版になっていくのが大衆小説の宿命である。死後二十年もたってまだ版を重ねている松本清張が異常なのだ。これだけの作品を紹介しても、現時点で手に入るのは下にある画像だけである。しかし図書館や古本屋を回ればまだまだ見つかるはずだ。現在、山崎豊子の遺作「約束の海」が週刊新潮で連載中である。それが終われば、もう本当に彼女の新作は読めなくなる。だからといって嘆くことはない。山崎豊子には石川達三という師匠がいて、松本清張という兄弟子がいて、そして欧米にはたくさんの同志がいた。掘れども尽きぬ鉱脈が地下に眠っているのだ。
大阪づくし 私の産声―山崎豊子自作を語る 人生編 (新潮文庫)  空の城 長篇ミステリー傑作選 (文春文庫)  ゴッドファーザー〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)  ケインとアベル (上) (新潮文庫)